英語界のドンキホーテ

12月の一次審査通過作文/「学びと私」作文コンテスト

池野良男さん(70歳)/東京都/最近ハマっていること:チェロ演奏、英語、家族

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池野良男さん(70歳)/東京都/最近ハマっていること:チェロ演奏、英語、家族

 英語との出会いは57年前の中学1年でした。先生はアメリカ帰りで、授業中に話してくれるアメリカの話は大変興味深いものでした。特に、和式トイレしか知らない私には西洋便座の話には驚きました。先生は使いかたが分からずトイレの中で四苦八苦したそうです。また先生のアメリカ訛りのRやLの音は日本語にはない不思議な魅力を感じました。そんな先生の影響で将来は英語の先生になりたいと思いました。
 大学で英語を専攻し、高校の教員になりました。ある時生徒から「先生は英検1級を持っているの?」と尋ねられました。持っていないと答えると「なあんだ、持っていないのか」とがっかりした様子でした。これには私のプライドが傷つけられました。また、この時初めて英検1級と通訳ガイド免許を有する人こそが真の英語の実力者だと知りました。そこで猛然と英検1級を目指しました。大学受験問題を片端からやりました。夜には会話学校にも通いました。数年後満を持して受験しました。ところが1次で不合格。そして捲土重来、翌年再受験。今度は1次の筆記には合格しましたが、2次のスピーチで不合格。1次に合格すると2次試験のみを2回受験する資格ができます。そこで再度奮起。1回目で合格。しかも、なんと優良賞をいただきました。「英検持っていないのか、」と尋ねた生徒は既にいませんでしたが、リベンジできました!
 次は通訳ガイド試験です。運輸省が実施していた国家試験です。3次まであり、当時は合格率3%と司法試験並みの難関でした。英語だけでなく日本の文化・歴史・政治など幅広い知識が必要でした。この試験は年1回しかありません。合格まで3年かかりました。翻訳学校や通訳養成所にも通いました。昼間は教師、夜は生徒でした。夜の授業は眠くてたまりませんでしたが、生徒に馬鹿にされないような英語力をつけようと努力しました。この後はTOEFLやTOEICなど英語の資格試験のための勉強を続けました。こうした勉強を続けたためか、学校の授業で扱う教材が実に易しく思えるようになりました。さらに、英語への理解を深めることによってより良い授業が行えるようになりました。このことは資格試験を目標とした勉強が生み出した副産物でした。
 定年退職した時、「さてこれから何をしようか」と考えました。それまでの人生を振り返ってみました。私は人生の多くを英語学習に費やしてきました。そして自分は一体英語で何をしたかったのだろうと考えました。生徒に英語力を自慢するため?より良い授業をするため?どちらも違う気がしました。そして単純な結論に到達しました。心底望んでいたのは英語の達人になることでした。それも証明書付の達人になることでした。通訳士や翻訳家としてアルバイト的には働いていましたが、それが実力者としての「お墨付き」ではありません。そこで英検1級で文部大臣賞を受賞することに目標を定めました。これなら立派な「証明書」です。しかし、これも壮大な目標です。既に5年が過ぎていて険しい道のりです。長文問題をやってもすぐに頭が疲れます。思うように瞬時の翻訳ができなくなりました。新しい熟語を覚えてもすぐに忘れます。若い頃の集中力や瞬発力が消えていました。「こんな語彙知らない」と思って辞書で調べると既に何回も調べているのです。こういう時は愕然とします。最大の問題は英語力や瞬発力というよりも、気力が衰えたことです。それでも老いに抗っている最中です。既に70歳、砂時計の砂が少なくなっています。巨人と間違えて水車に突進していくドンキホーテのような自分が滑稽に思えることもありますが、残された人生の最後の目標に向かって学び直しの毎日です。

学びと私コンテスト

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