火事に弱い京都の街並み。保存か、防災か

歴史文化都市の防災と建築史学@立命館土曜講座

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法隆寺壁画の消失で職を追われたが

法隆寺金堂の壁構造。この大修理以前は、壁をすべて取り壊し新しく作り変えていた

法隆寺金堂の壁構造。この大修理以前は、壁をすべて取り壊し新しく作り変えていた

青柳先生の研究対象の一つである法隆寺は、昭和24年、「昭和大修理事業」の最中に金堂壁画の一部が消失するという悲劇に見舞われた。その時修理を担当していたのが、大岡實。彼はこの火災により職を追われたが、その後「燃えない建築」を目指し、鉄筋コンクリート造による社寺建築を手がけるようになる。

大岡の手がけた法隆寺の昭和大修理事業は、現在の修理事業の礎となる革新的なものだった。その一例を挙げれば、「構造方式をそのままに於いて残す」ということ。別の構造に作り変えるのではなく、元の構造を遺して強くする。元の材をそのままにしながら補強材を入れれば、補強材を取り外すだけで元の構造に戻る。

たとえば、最古の木造建築である法隆寺五重塔には、見えないところに補強材として鉄骨を入れた。取り外せば元の構造になるのだ。剥落しかかっていた金堂壁画には尿素樹脂を注入し、壁自体を取り外してそのものを遺す修復をした。この法隆寺の昭和大修理事業以前には、修理のたびに壁は取り壊され、作り替えられるのが当たり前とされていた。

歴史的価値を知ることは、その建築物が遺されてきた技術=災害に耐えうる技術を知ることです」と青柳先生。

革新的な保存修理をした法隆寺の修復技術は、昭和50年代の桂離宮の修復にも応用された。それでも法隆寺の金堂壁画は燃えてしまった。大岡は、その失敗により保存への思いはさらに強めて、鉄筋コンクリート造の社寺建築を手がけるようになった。その代表作が、東京の浅草寺であり、神奈川の川崎大師である。

相反する「保存」と「防災」

保存しながら、なおかつさらに先の、未来へと遺す技術。「建築史」の観点から「防災」を考えるとは、つまり、建築物の歴史的価値を知り、その建築物が遺されてきた技術、災害に耐えうる技術を知ることなのである。

「保存」と「防災」。相反するけれど、それをどう融合させていくのかが新しい学問につながっている。

〔今日の名言〕歴史的価値を知ることは、その建築物が遺されてきた技術=災害に耐えうる技術を知ることである。
〔大学のココイチ〕末川記念館の講義室には何台ものモニターが設置されていて、どの場所に座ってもPPTが見やすい。

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ブラタモリに取り上げて欲しい富田林の防火の工夫

取材講座データ
「歴史文化都市の防災と建築史学」 立命館大学土曜講座 第3194回 2017年2月25日

2017年2月25日取材

文/植月ひろみ 写真/青柳憲昌

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