外国語学習が母国語の認識に及ぼす影響

12月の一次審査通過作文/「学びと私」作文コンテスト

成本孝宏さん(33歳)/埼玉県/最近ハマっていること:読書

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成本孝宏さん(33歳)/埼玉県/最近ハマっていること:読書

 世の中の行方を予測するのは、大半の人にとって困難極まりないことだろう。当然ながら、私もその例外ではない。けれども、ほぼ確実だと思われることを敢えて一つ挙げると、日本人にとっての外国語学習の必要性は、一層声高に唱えられるようになっていくのではなかろうか。国際化の趨勢が今後逆行するとは想像しにくく、世界的にはマイノリティに属する日本語のみで暮らしを成り立たせるのは難しくなっていくだろうからである。
 かく言う私自身には、特筆すべき外国語学習歴はない。公立中学校に入学してから英語を学び始めた他は、大学で第二外国語としてフランス語を少々かじった程度である。そして、謙遜などではなく、その両者において日常会話がこなせるほどの運用能力や、試験で高得点を取れるだけの知識などは持ち合わせていない。
 また、私には仕事関係でも、プライベートでも、外国人の知人はいない。海外旅行の経験も一度しかない。要するに、外国語を使用する機会は皆無に等しいのである。
 そのような国際社会の波から取り残されているとも言える立場から考えてみたい。果たして、外国語学習は大切なのだろうか。
 大方の予想に反するかもしれないが、私の答えは躊躇うことなくイエスである。外国語を学んだお蔭で、日本語を客観的な視点で見つめられるようになったためだ。現代の日本では国際化社会を過剰に意識して、英語を中心とする外国語学習の熱が高まり過ぎているがゆえに、日本語の勉強が蔑ろにされているという批判も度々聞かれる。そうした風潮を、私も否定するつもりはない。だが、比較対象となる外国語の知識を身に付けることによって、日本語の特徴を自覚できるようになる利点もあるのではないか。
 中国大陸から伝わってきた漢字を導入しつつ、独自に編み出した平仮名も併用することで、表現の幅を巧みに広げている日本語。物心つく頃には無意識に利用していた母国語を省みる機会が与えられたキッカケは、紛れもなく外国語学習だった。その結果、時代の変化に合わせて微調整しながらも日本語の伝統を連綿と引き継いできた祖先への尊敬の念とともに、日本人としての誇りも私の胸中には芽生えてきたものである。
 そして、日本語への関心が深まるにつれて、日本語を媒介に生み出されてきた日本文化にも興味が湧いてきた。こうして私は、いろは歌の素晴らしさや、俳句・川柳・短歌などの定型詩の奥深さも実感できるようになった。これらは外国語に翻訳すると、その魅力を大いに減じると思われ、日本語を母語にしているからこそ満喫できる特権だろう。
 母国語の魅力を認識することは、日常生活の様々な場面における感性を高めて、暮らしに彩りを添える効果があるものと思われる。国際社会を生きていく上での必須教養としての側面もあるが、日々の充実感を引き出すためにも外国語を学ぶことは有意義なのではなかろうか。

学びと私コンテスト

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