古代五輪から冬季五輪へ。知られざるオリンピックの歴史

日本人の相次ぐメダル獲得で、一気に盛り上がりを見せてきた平昌冬季オリンピック。2年後に迫った東京オリンピックがますます楽しみになってきた。そこで調べてみると、古代オリンピック、夏季オリンピック、冬季オリンピックに面白いつながりが見えてきた。まずは古代オリンピックの歴史からひもとこう。

  • 公開 :

冬季オリンピックのきっかけは、夏季オリンピックに開催されたフィギュアスケートだった。(c)Gary/Fotolia

日本人の相次ぐメダル獲得で、一気に盛り上がりを見せてきた平昌冬季オリンピック。2年後に迫った東京オリンピックがますます楽しみになってきた。そこで調べてみると、古代オリンピック、夏季オリンピック、冬季オリンピックに面白いつながりが見えてきた。まずは古代オリンピックの歴史からひもとこう。

男はハダカ、女は参加も観覧も禁止の古代五輪

〇競技者は10か月以上前に集合し、真剣にトレーニングに励む。
〇競技中は衣類を着ないで、裸体に日よけ防止のオイルを塗る。
〇競技期間は5日間。1日目は登録と宣誓、最終日は表彰と神への感謝。2、3、4日目にゲームを行う。
〇女性は見ることも、参加することもできない。

男はハダカ、女人禁制、10か月以上の前からトレーニングのための合宿なんて……。じつはこれが古代オリンピックの実施概要だ。

古代ギリシャのオリンピックは、紀元前776年に始まり、(紀元後)394年まで行われた。それは全知全能の神・ゼウスに捧げる神事だった。

近代オリンピックでは金銀銅メダルが授与されるが、古代オリンピックでは優勝者にはオリーブの木でつくられた冠が与えられた。しかし選手たちは、優勝者の出身地には神の祝福があると信じ、郷土に神の祝福をもたらすために、必死に戦ったという。

オリンピック期間中は停戦、それが1000年も続く

オリンピックが4年に1度の祭典であるのは、古代オリンピックからの伝統だ。当時のギリシャは多数の都市国家に分かれていて年中どこかで戦争があった。しかし4年に1度のオリンピック期間中だけは停戦する、というルールがあったという。

このルールを遵守し、古代オリンピックは1度も途切れることなく、なんと1000年も続いたのである。

近代オリンピックが平和の祭典としてあるのは、この精神を受け継いだものだ。しかし実際には、その100年余りの歴史の中で、第1次世界大戦中に1度、第2次世界大戦中に2度、中断している。ここが古代オリンピックと大きく違うところである。

チャリオットレースの勝利者が称えられたわけは

古代オリンピックで行われた様々な競技の中で目を引くのは「チャリオットレース」だ。これは人が馬車に乗って馬を走らせ、そのスピードを競うゲームである。

古代オリンピックの競技で、ウィナー(勝利者)中のウィナーとされたのが、このチャリオットレースの勝利者だった。

ギリシャ時代の馬は戦闘の道具であり、農耕の道具であり、また交通の手段でもあった。それだけ重要な馬である馬を自由自在に御せる若者こそが最高のスポーツマンとして称えられた。

近代オリンピックの中にも古代ギリシャを偲ばせるものがある。そのひとつがマラソンの距離だ。マラソンは24マイル(42.195キロ)を走るが、これはアテネ軍とペルシャ軍が戦ったマラトンの戦いで勝利したアテネ軍の兵士が、勝利を伝えるためにマラトンからアテネまで走った距離が、24マイルだったのである。

人間教育に身体性を取り戻すために近代五輪を

最後の古代オリンピックが行われてから約1500年後のこと。近代オリンピックの父で、フランスの教育学者であったピエール・ド・クーベルタン男爵(1863-1937)は、教育改革を推進する中で、教育に「身体的側面」が欠落していることを実感していた。

そこで彼が着目したのが、ひとつは英国のパブリックスクールで行われていた「体育教育」、そしてもう一つが、この古代ギリシャのオリンピックだった。古代オリンピックに学ぶことで、人間教育における「身体性」を取り戻そうと考えたのである。

そして1894年、パリで開かれた国際会議で近代オリンピックの理念が討議され、1894年6月23日、IOC(International Olympic Committee)を設立。4年に一度、国際的スポーツ大会を開催することが決定された。第1回は1896年に開催されたアテネ・オリンピックである。

以上は明治大学リバティアカデミーの公開講座「2020年東京五輪を考える―オリンピックの歴史・思想と現実の諸問題」で、明治大学名誉教授の寺島善一先生が解説したオリンピックの歴史授業の一コマである。

夏季五輪に登場したフィギュアスケート

こうした近代オリンピックに28年遅れて始まったのが、冬季オリンピックだ。

その第1回は1924年、アルプスに抱かれたリゾート地、フランスのシャモニー・モンブランで開催された。冬季オリンピックは用具を使うことに大きな特色があるが、そもそもスキーもスケートも、冬季の交通手段として生まれ、それが近代になってスポーツの用具となったものだ。

しかしじつは、この冬季オリンピックに先立って、フィギュアスケートは夏のオリンピックで行われていたのだった。それが1908年の第4回ロンドン大会(1908年4月27日~10月31日)である。

当時、ロンドンにはヨーロッパ初となる屋内人工リンクが完成しており、夏期でもフィギュアスケートができる環境が整っていた。さらに第7回アントワープ大会(1920年4月20日~9月12日)では、フィギュアスケートに加えてアイスホッケーも登場した。

そうした動きが冬季オリンピックの開催へとつながったのである。

冬季オリンピックでノルディック複合の勝利者をキング・オブ・スキーと称える。それは瞬発録を競うジャンプと持久力を競うクロスカントリーの両方の能力を併せ持った者でなければ勝てないからだが、スキーはもともと交通のための用具。それを使いこなした人こそ勝利できると思うと、古代オリンピックで、当時最重要の交通手段だった馬を乗りこなしたチャリオットレースの勝利者こそウィナー(勝利者)中のウィナーと称えられたことと、どこか共通点があると感じざるをえない。

また、夏季オリンピックと冬季オリンピックの橋渡しとしてフィギュアスケートが関わったという歴史があったとは。本当にオリンピックは知れば知るほど面白い。

【あわせて読みたい】
トレーナーが教える大学の腰痛講座の中身がスゴイ
エルサレムはどこの国のものか?池上彰が解説
地震工学研究者「今や地震は忘れないうちにやってくる」

文/まなナビ編集室

-健康・スポーツ, 教養その他
-, , ,

関連記事