修験道の開祖・鬼神を使う男と朝鮮渡来文化の繋がり

古代日本と朝鮮渡来文化@明治大学

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「孔雀の呪法」を身につけたが島流しに・・・

役行者が修業したと言われる山上ヶ岳の役行者像(c)英明 立脇 - Fotolia

役行者が修業したと言われる山上ヶ岳の役行者像

『日本霊異記』の上巻第二十八の説話には、役小角について「大和国葛木上郡茅原の村の人なりき」と説明されている。生まれながらに博学だったそうだ。さらに、五色の雲の上に乗り、空の外に飛び回り、仙人の宮殿で仙人たちとともに遊び・・・と続いていく。ここまでくると、本当に実在の人物? と疑問に思ってしまうような記述。伝説と実在の人物像が入り混じっている。

『日本霊異記』にはさらに続いて、なぜそのようなことができるようになったのか、理由が書かれている。曰く「四十余歳で山ごもりをしていた。葛で作った粗末な衣をみにまとい、松の葉を食べ、清らかな水で沐浴し、人間界の欲を落とし、そして呪術的な作法を身につけていった」。そう、まさに「修行」イメージそのものだ。

役小角はそうして「孔雀の呪法」を身につけ、「異(あや)しき験力」を得て、「鬼神」を自在に使えるようになる。そうして「大倭国(やまとのくに)の金の峯と葛木の峯とに椅(はし)を渡して通わせ」などと鬼神に言わせたりしたものだから、謀反を起こそうとしているとされ、伊豆に島流しになった。

『続日本紀』にも、「丁丑(ひのとうし・二十四日)、役君小角、伊豆嶋に流さる」という記述があり、そこには役小角の簡単な紹介とともに、「韓国連広足(かんくにれんひろたり)が師なりき」と続く。役小角を師とした韓国連広足は、7世紀末から8世紀の日本にいた呪術者で、姓は連。呪禁(じゅごん)の名人として朝廷に仕えた。

その韓国連広足が、その後に師の能力を妬んで讒言(ざんげん)したという説がある(『国史大辞典』)。役小角の没したとされる時期から約30年後に昇進し、加えて、広足の氏が韓国であることからか、朝鮮半島からの渡来人系呪術師が、日本古来の呪術師を妬んで起きた事件と解釈する説もある(『新体系『続日本紀』注釈)。しかし、韓国氏は物部氏の分流であり、渡来人ではないという見解もあり、実際のところはわからないと先生は解説した。

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