中国語を学んで40年

12月の一次審査通過作文/「学びと私」作文コンテスト

佐々木望月門さん(57歳)/東京都/最近ハマっていること:中国語翻訳・エリアガイド・外国語観光ボランティアガイド(中国語)・銭湯巡り

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佐々木望月門さん(57歳)/東京都/最近ハマっていること:中国語翻訳・エリアガイド・外国語観光ボランティアガイド(中国語)・銭湯巡り

中国語を学んで40年になります。
 英語が苦手でずっと外国語は自分には向いていないと思っていたんですが、たまたま聴いたラジオ講座の中国語の美しい響きに魅せられました。
 大学の第三外国語(選択科目)の中国語会話の授業、一年間やったことと言えばほとんど大声での発音練習でした。結果的にはそれはよかったと思います。今でも発音だけは中国の人にほめられます。アナウンサーみたいと言われたことも……
 卒業してからも中国語だけはやめないで社会教育会館での自主学習グループに参加したり、語学学校に通ったりして続けてきました。ラジオとテレビの中国語講座も欠かさず視聴しています。
 初めて中国人と本格的に中国語で話したのは10年くらい経って夜間のビル清掃のアルバイトしていたときのことです。突然来日したばかりの日本語学校に通う学生たちと作業することになりました。
 しかし彼らは広東省広州市出身で、聞こえてくるのは広東語です。でもベテランのおばさんの指示がなかなか伝わらない様子だったので、思いきって中国語(共通語)で話しかけてみました。すると相手も笑顔になって広東語訛りの共通語で話してくれました。
 それから数か月の間、彼らと一緒に仕事をしたことで中国語の会話力は本当に飛躍的に向上したと思います。
 初めて中国に行ったのは香港が中国に返還された1997年8月でした。ある学術会議のツアーに参加しました。開会式には人民大会堂にも入って江沢民主席のスピーチも聴きました。でも英語が苦手ですので会議にはほとんど出席しませんでした。タクシーで北京市内を回り、運転手とおしゃべりするのが実に楽しかったです。
 21世紀に入って間もなくのころ、中国語の小説を翻訳するのに一時ハマりました。中国語のショートショートやらSF小説やらを読んで、これをぜひ中国語を学んだことのない日本の読者にも読んでもらいたいと、駒込の図書館に通って訳しました。駒込図書館には当時、上下2冊の最大の日中辞典があったからです。十数編訳したSF小説を自費出版を手がける出版社に見ていただいたところ、ぜひ出版したいが訳者にも応分の費用の分担をお願いしたいと言われ、経済的な理由から出版は実現しませんでした。
 2006年から07年には日本語の先生として中国東北部の学校で教壇に立たせていただきました。こんなことなら大学で教員免許取っておくべきだったのかなあ。案の定短期間で日本に舞い戻ってきましたが。後悔先に立たず。
  そう言えば最初に行った延辺の学校の宿舎の隣人がロシア人の先生で、日本語はもちろん英語も中国語も通じなかったのにも困りました。到着して一週間くらい7階の部屋の水道から水が出なくて隣の2人のロシア人のおばさんからもらい水していたんですが、言葉が通じなくて苦労しました。日本にいるときにちょっとだけNHKロシア語会話の放送を見ていて、挨拶くらいは通じましたけどね。日本からわざわざロシア語のテキストを送ってもらったりしましたけど、おじさんにはあの難解なロシア語は無理でした。中国人の先生に中国語で通訳してもらったこともあります。
 中国語を学んだおかげで思いがけない経験をいろいろさせていただきました。中国語を勉強してからの歳月が勉強する前のもう2倍になりました。中国語はもう人生のパートナーみたいなものです。ちなみに実生活のパートナーも中国人です。

学びと私コンテスト

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