がんといかに哲学的につきあうか、笑いの絶えぬ講座

医師との対話を通して考えるがん哲学@早稲田大学エクステンションセンター

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「何もしないほうがいいと言い切るのは純度が低い知識」

Q:「がんの性質は、境遇によって(外からいろいろな方法で〈適時〉に〈的確〉に介入することによって)変えられる時代になってきた」と先生の本にはありますが、「何もしないほうがいい」と仰る先生もいます。先生のお考えを教えてください。

A:今はいろんなことを仰る先生がいますし、いろんな本が出版されていますが、何もしないほうがいいと言い切るのは純度が低い知識だと思います。我々から見ても何が正しいかわからない部分はあります。その場合、曖昧なことは曖昧だと答えるのが科学的な態度です。つまり純度の高い専門家は「わかりません」と言う。そういう先生には「愛」があると思います。だから最後まで患者と寄り添います。

ただ、自然治癒がないわけではないんです。特殊なタイプのがんには起こります。ですから自然治癒を否定はしないけれど、やはり、常識的に考えなければいけないと思いますね。本に書いた〈適時〉というのは「できるだけ早く」ということ、〈的確〉は、「正しい方法で対処・治療する」こと、これが大事ですね。

Q:「名詞」ではなく「形容詞」でものを見る、ということの意味を、もう少し具体的に教えていただけますか。

A:不良息子のことを、たとえば「茶髪」だと言ったとき、この「茶髪」は名詞ですね。でも茶髪にも「良い」茶髪と「悪い」茶髪がいるんです。そういう見方をするんですね。名詞に善・悪はない。形容詞に善・悪がつく。ですから形容詞でものを見ることが大事なんです。

たとえば我々の「顔」で考えると、「顔立ち」は「名詞」で、「顔つき」は「形容詞」です。顔立ちは生まれもったものなので変えることはできません。一方、顔つきは日々の心がけで変えられます。いつもニコニコしている人の顔つきはどんどん良くなりますよね。ですから、名詞に一喜一憂すると、人生、疲れるんです(笑)。変えられないものは受け止めなければならない。変えられるものに、人は全力を尽くしてほしいと思いますね。

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