「さようなら、ドラえもん」が小学生に与えた感動

大学教育におけるマンガの可能性(その2)

「早稲田大学教育総合研究所 教育最前線講演会シリーズ25 学校教育におけるマンガの可能性を探る」では、小学校の授業でマンガを取り上げた事例の発表があった。取り上げられたのは『ドラえもん』のある話。こんな風にマンガから学べたら、子どもたちは幸せだろうと、話を聞いていて涙がにじんできた。

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「さようなら、ドラえもん」が掲載された第6巻

「早稲田大学教育総合研究所 教育最前線講演会シリーズ25 学校教育におけるマンガの可能性を探る」では、小学校の授業でマンガを取り上げた事例の発表があった。取り上げられたのは『ドラえもん』のある話。こんな風にマンガから学べたら、子どもたちは幸せだろうと、話を聞いていて涙がにじんできた。

自分が好きなマンガを認めてくれるのは自分を認めてくれること

登壇した岸圭介氏は、早稲田大学系属早稲田実業学校初等部の教諭だ。岸氏は、担当した児童が勧める『NARUTO』を読破し、それを児童に伝えたのだという。

「卒業するときに『先生が『NARUTO』を読んでくれたのが本当に嬉しかった。こんないい先生はほかにはいないです』と書いてくれました。この子にとっては、自分の好きなマンガを認めてくれることイコール、自分を認めてもらえることになるんです」(岸氏、以下「 」内同)

現在、マンガを職業にしている筆者が、子どもの頃にマンガを否定されて育ったことを考えると、この話だけでも感動的だ。こんな大人がいたらどれほど幸せだったろう。

「子どもはマンガからいろんな影響を受けます。子どもがどんなマンガを読んで、何を感じているのかをしっかり大人が見極めることが教育の可能性に繋がるのだと思います。私たち大人も、小さい頃に作品を読んで感動した経験ってありますよね。それをシェアするのが子どもたちに寄り添う一番の近道だと思います」

マンガには子どもが見たことのない世界が広がっている

「大人になると当たり前のことでも、小学生のうちは新鮮なことがたくさんあるんです。その上、マンガには見たことがない世界がたくさん広がっています。子どもたちはその中で、多くを学び取っています。マンガを媒介とするコミュニケーションは、小学生が成長するきっかけになると考えています」

子どもは「どんな大人になりたいか」という明確なゴールイメージを持つことが大事だという。そのイメージに向かって子どもは成長していく。いわゆるロールモデルだ。それは野球選手やサッカー選手といった実在の人物が多いかもしれない。一方で子どもたちに明確なロールモデルを与えるのにマンガはとても適していると岸氏は言う。

「子どもは、ヒーローになりたい強い思いがあると思います。そして『なりたい自分に近づく』ことが成長するということです。教員は子どもたちにそうしたイメージを持たせたら、次は『自分にもできた』という感覚を持たせることが大事です。だから子どもたちが何かにハマる瞬間を演出することが教師の仕事なんです。ヒーローだけではなく弱い主人公を扱うことも、マンガを教育に結びつけるひとつの方法だと思います。

例えば『ドラえもん』ののび太ですね。マンガのいいところは、のび太のような弱い主人公がいい形で変容、成長するシーンがあって、それがとてもわかりやすいことです」

終業式の日、みんなで読んだ「さようなら、ドラえもん」

2年生が終わるとクラス替えがあり、3年生からは担任もクラスメートも変わってしまう。慣れ親しんだクラスとのお別れするその終業式の日、岸氏はクラスで『ドラえもん』のある1話を取り上げたという。6巻の巻末に収録されている「さようなら、ドラえもん」という作品だ。

あらすじはこうだ。

のび太と暮らしていたドラえもんは、急遽未来へ帰らなければいけなくなった。嫌がるのび太だが、両親氏に説得され、ドラえもんを送り出すことにする。

ドラえもんと過ごす最後の夜、のび太はジャイアンとけんかすることになる。いつもならドラえもんに助けを請うのび太だが、未来に変えるドラえもんを安心させるため、初めて勇気を出してひとりで戦うのだ。

のび太はジャイアンに挑み、ボロボロになりながらも勝利する。その姿にドラえもんが涙し、安心して未来へと帰っていく。

最後のコマは、ドラえもんのいなくなった部屋で、のび太が一人座り、淋しい気持ちを抱えながらも、たくましく歩んでいこうとする姿が描かれている。

「この日は終業式、そしてクラス解散の日なので、みんながばらばらになっても、前向きに頑張っていってねというメッセージを伝えることを目的とした授業でした。

授業では、大型モニターに電子化した『さようなら、ドラえもん』を映し、全員で黙って読みます。読むスピードは個々に違うので、読む前に挙手をしてもらい、読み終わったら手を下げます。誰も手を挙げなくなったら次のページへ進めます。マンガは、個人で楽しむイメージが強いが、授業でこのように全員が同じ時間を共有するのは、新鮮な試みにうつる。

全員が読み終えた後、ストーリーの確認をしました。のび太はドラえもんのことが大好きだから、本当は未来へと帰ってほしくないと思ってる。のび太が頑張ったら、ドラえもんは未来に帰ってしまう。それでも何故のび太は頑張ったのか。

簡単に言えば、のび太が頑張らなければドラえもんは残ってくれて未来に行かなくて済むのに、それでも何で頑張ったんだろうね? と、2年生の子どもたちとやり取りしました」

そして春休み後に、児童たちに考えてきたことを先生に書いて欲しいと伝えたそうだ。そうして書かれたメッセージが、以下のものだ。掲載にあたり、原文を読みやすく適宜修正したが、小学2年生が書いたとは思えない、文章力と理解力に驚かされる。

頑張らなきゃいけない時がある 別れなきゃいけない時がある

先生の言いたかったことは、もうすぐ3年生になるから先生が替わり、クラスのみんなとお別れするから、先生がドラえもんでみんながのび太君じゃないかと思いました。

だから先生も寂しいしみんなも寂しいけど、のび太君みたいに変わらないといけないと思います。なので、3年生になったら、お友達との幅を広げて、大切にして、仲良くしないといけないと思います

また先生の所に行かないようにして、慣れるまでみんなと頑張ります

この「慣れるまでみんなと頑張る」は、のび太君がドラえもんに会いたいけれども我慢するという、物語の中のシチュエーションそのものだ。感想を続けよう。

岸先生に教わって変えたことがたくさんある。でも残念だけど変えられなかったこともあります。それは『弱音を吐かないで頑張る』ということです。岸先生には一度だけじゃなくて、何度も言われてしまったけど、やっぱり直りませんでした。

でも先生が替わって言われなくなってしまったとしても、それを変えようとしないと、大人になってもおじいさんになっても、自然には変わらないものだと思います。だから、弱音を吐かないで頑張るというものはできるようになるまで、できるようになっても忘れないで、ずっと僕の中で生きているものなんだと思います。だからこそ3年生に向けて、いつまでも僕の中で生きている目標として進んでいきたいと思います

2年生の友達と離れるのは寂しいけれど、クラス替えがある事実は変えられない。先生と離れるのは寂しいけれど、3年生の先生が替わる事実は変えられない。

先生のことが好きなんだけれど、本当は先生がいいんだけど、いちばん大切なことは『大好きな人を安心させること』だとドラえもんから学びました。岸先生、僕は3年生になって、どんな先生になっても、どんなお友達とも仲良くできるから、安心してください

のび太君は、大切なドラえもんのために、とても強いジャイアンに向かっていったんだと思います。もしドラえもんが大切な人ではなかったら、のび太君はジャイアンに向かっていかなかったと思います。ドラえもんが大好きという力は、誰よりものび太君が大きかったと思います。私は、岸先生が最後に伝えたかったのは『岸先生がいなくなっても頑張ってね』ということだと思います。これはドラえもんとのび太君との関係として、みんな岸先生のことを思ってるから頑張るということです。

のび太君がジャイアンに向かっていかなかったら、この『さようならドラえもん』は感動しません。読んでいる人は『あーあ、またのび太くんが諦めた』と思います。けれどこのお話では、のび太君は諦めませんでした。だからジャイアンに勝った時、ドラえもんは泣いていたんです。

のび太君に向かっての『頑張った』という気持ちが強すぎて、言葉にも心にも閉じ込めて置かなかったから、その分のパワーが涙になって出てきたんだと思います。私は、このドラえもんが心の中で『のび太君、本当に頑張った…僕のために』と言っているような気持ちになりました。そのドラえもんが岸先生なんです。私達がのび太君で、そう岸先生に言ってるように『先生がいなくても頑張ってね』というのが、私の中だと岸先生の最後の言葉でした

マンガを間に入れることで思いがずっと強く伝わる

『ドラえもん』を読むだけで、小学生はここまで深く考え、これだけの文章が書ける。それはマンガの力だと、岸氏は言う。

「教師はいつも、子どもたちに届けたいメッセージがあり、それを踏まえてやり取りをします。でもそれだけではなかなか伝わらないことも多いんです。言った言わないではなく、お互いにわかったとかわかり合えたという感覚を作るのはなかなか難しいんです。

でも今回のようにマンガを間に入れることで、わかりたい、伝えたいという思いがずっと強くなると感じました。今回私が『クラス替えしても頑張ってね』というメッセージを漫画そのものに乗せて子どもたちに伝えました。

子どもたちは『この先生、何が言いたいのかな』という思いを持って、教師に寄ろうとしてくれました。だからコミュニケーションの矢印がちょっと太くなったと感じています。

私の専門は国語です。伝記のように、実際あったことからロールモデルを作ることもできますが、ヒーローになりたいとか、ダメな子が頑張るところを見たいという、理想像に向かうマンガの主人公たちの姿もロールモデルになるんです。そして直接的な言葉ではなく、あくまで物語世界の中でやり取りができるのも、マンガのいいところだと思います」

マンガ表現はドラマチックだ。そして多くの作者は、そこに明確に伝えたいメッセージを持っている。それが教師の思いとマッチしたとき、子どもたちへのメッセージは、これほど明確に伝わるのだ。

「自分が好きなものに大人が寄り添ってくれる」という気持ちは、逆に子どもたちにも、大人に寄り添おうという気持ちを生むのだろう。

マンガは、もはや私たちから切っても切れない関係にある。それを認識して大人がマンガを「どう使うか」が問われる時代なのだ。

◆取材講座:「早稲田大学教育総合研究所 教育最前線講演会シリーズ25 学校教育におけるマンガの可能性を探る」

文/和久井香菜子

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